博士、楽し

久しぶりに勢いで書こうと思う。

 

研究が楽しすぎる。

実験がうまくいった瞬間、複雑な結果を紐解いて新たな発見を見つけた瞬間、研究全体の枠組みを考える時間、進捗を報告する時間、楽しすぎる。

 

進捗報告が「好きなものマジプレゼン」と化している。毎回冷静でいようと思ってはいるものの気づいたら興奮気味で喋ってる自分に気づく。

 

何でここまで楽しめるのか。

①そもそも社会貢献のためとかではなく、単純に知りたい、これ分かったら面白そうから始まってる研究だから。

②博士とはいえ、学生だから好き勝手にやっていいから。

③着々と実験結果を積み上げてくれる優秀な後輩と共同研究ができているから。

④自分の研究結果と考察を聞いた後に、それを上回る面白い考察を全力でぶつけてくれる教授が指導教員だから。

 

どれかひとつでもかけちゃいけないと思った。だからアカデミアには残れない。アカデミアに残ったら「生活」の方が目について好き勝手にできなくなる。こんな楽しい毎日なのにそれがあと1年半しかない。そう考えると毎日を大事にしたくなった。

 

もちろん締切とか締切とか締切とかでしんどいときは山ほどあるけど、それを上回る発見だったり成功だったりが本当に楽しい。それ自体はすごく小さいものなのになぜ心がこんなにも躍るのか。

 

我ながら最高の20代後半を過ごしていると思う。すぐに就職しなくて本当に良かった。こんなに刺激のある毎日はもう一生こないだろう。絶対に。

 

博論できっとこんな楽しいと言ってる自分を馬鹿だと思うことになるだろうけど、博士終わった数年後には全てひっくるめて楽しかったと思ってるだろう。

 

そろそろ折り返し。まだまだ頑張れそう。

ストレングスファインダーやってみた

また春の学振のプレッシャーで自殺考えないようにするために、秋頃からちょっとずつ作戦を考えてた


研究計画は、前回よりも現実的かつめちゃくちゃ面白そうでワクワクしちゃうアイデアが浮かんだ


ただ、自分の強みに関しては全然浮かばなかった、あるにはあるけどそれは博士進む人じゃ当然の資質な気がした


学振の中で書く強みって

①博士学生の持つべき資質のなかで特に秀でているもの

②普通の博士学生じゃ持っていない少し特殊なもの

のどちらかじゃないと魅力を感じないと思う(もちろん書き方によるけど)

 

どーしたもんかなぁと行き詰まった結果、ストレングスファインダーにたどり着いた

 

 

 


簡単に言えばネットの自己分析


ネットの自己分析って結局自分がなりたいと思ってる選択肢を無意識で選んじゃうから、理想の自分を分析されてる気がしてあんまやりたくはなかった


だけどなんかそんじゃそこらの自己分析じゃない的な売り方をしてたので、やらないよりはやったほうがいいかなと

 

 

全体としては2000円で本を買って、本の袋とじのシリアルコードをインターネットのサイトに打ち込んで、「そう思う⇔どちらともいえない⇔そう思わない」みたいな選択を制限時間20秒でしまくるって流れ


で、その全回答から、34に分けられた人間に備わってる才能(強みになりうるもの)の内、上位5つを見つけてくれて、その人に合った5つの才能の詳細を本から探して理解を深めるらしい


あと本の全部に目を通して、34の才能のうち絶対これは違うなっていう才能を見つけることで自分の弱みもわかっちゃうらしい

 

いざ実践

 

 


元々海外でストレングスファインダーが流行ってる?流行ってた?らしく、それもあって選択肢の日本語訳はうんち(英語が読めればな…)


加えて、選択肢の両端が必ずしも対になってるわけではなくてなかなか答えにくかった


それもあってよくわかんない選択肢がかなりあったけど、質問数がそれなりに多くて全部答えるのに30分ぐらいかかるからある程度いい感じの分析になったと思う

 

選ばれた才能は

1位 着想(新しいアイデアを出す才能)

2位 内省(めっちゃ考える才能)

3位 分析思考(流れや裏付け、データの繋がりを大事にする才能)

4位 戦略性(最善の行動を選択する才能)

5位 親密性(大事な交友関係を大事にし続ける才能)

だった


本を読んで弱みだなと思ったのは

・競争性(そのままの意味)

→競争がマジで嫌いだから

・社交性(そのままの意味)

→自分にはできないし、ストレスを特に感じるから

・原点思考(過去を大事にする)

→過去に興味がないから

・成長促進(人に教える、人の背中を押す)

→自分で全部やりがちだし、教えてできないと段々イライラするから

・運命思考(この世は全部が繋がってる,運命なんです)

→生理的に受け付けない考え方、うるせ~ってなる

だった

 

これを見ると、まぁよくチーム単位で競争するような活動を長々と続けてこれたなと思う、若いうちに経験できたのはよかったかも

あとやっぱ博士に進むことは悪くない選択なんだなとも思う

 

34の才能は4つのグループに分けられるらしい

・思考力

・人間関係力

・指令性

・実行力

の4つ


自分の才能のうち、着想・内省・分析思考・戦略性は、思考力にあたっていた

想像以上に極端な結果となった

 

 

 

まとめ

まあ結局自分がなりたい自分像になった気がしなくもないけど、かなり勇気づけられた

占いが好きだからこういうの真っ直ぐに信じがち


出てきた才能は博士っぽかった

だからもうちょいこの才能(強みになりうるもの)を深めて深めて、学振の強みはこれを軸にしながら

①博士学生の持つべき資質のなかで特に秀でているもの

がまるである風に記述してみようと思う

 

最後に、みんなもストレングスファインダーやってみてほしい、結果を共有して~

私、気になります

休日の公園

 

休日の公園,良すぎる.

 

 

 

今年に入ってから人とあまり話さなくなった.というより,平日休日含め,研究室にいる時間が圧倒的に増えたが,研究室で話す時間が圧倒的に減った.

そりゃ研究の話はするけれど,何でもかんでも思いついたことを話すようなことが無い.

正直一人の方が好きだと思っていたが,一人がかなり寂しいものだと気づいた.

 

 

今日も研究室で実験をしていた.もちろん人が来るわけない.一人だ.

適当に音楽を流しながら解剖していると,家族と友達でわいわいしようぜ!みたいな明るい音楽が流れてきた.

自分が一人であることが際立って悲しくなった.

そして改めて思い出す,今日は日曜,天気は晴れ.

一人で過ごすのが辛すぎて,赤の他人でもいいから家族関係,友達関係を肌で感じたくなり,散歩に出かけた.

 

 

研究室の近くに巨大な広場と巨大な遊具のある公園がある.

そこには自分の求めていた景色が広がっていた.

バドミントンをする親子,キャッチボールをする少年たち,赤ちゃんをあやすパパ,鬼ごっこをする子供,何気ない会話をしているママ友,娘を真ん中にして手をつなぐ家族,巨大な滑り台をキャッキャと駆け抜ける子供とそれを見守るパパ,レジャーシートで休む親子などなど...

知っている人はもちろん誰もいない.けれどもこの空間にいるだけで家族や友達同士のあふれ出た幸せの一部を受け取れるような気がして,笑顔になっていた.そして気がついたら1時間経っていた.

また一人の空間に戻るのが辛くて悲しくて帰りたくなかったが,変質者扱いされることに恐れ,帰ることにした.

 

 

 

 

想像以上の収穫だった.

休日の公園は愛に溢れていて,自分の心を満たしてくれる暖かい空間だった.

もう少しうまく表現したいところではあるが,とにかく公園だったからこそ,この素敵な気持ちを味わえたんだと思う.

また行こう.

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駆け込みで夏をした

夏、してますか。

夏、したいですよね。

夏、しました。

 

8月下旬、夏をしようと決意し、実行に移したからその感想文。

 


8/28

今年の8月は暑いだけで夏っぽいことを何もしてないなと思った。

暑いっていうマイナスな面だけを夏から受け取るだけじゃ夏に負けたことになる。

勝てなくてもいいからせめて引き分けたい。

あと3日、夏をすることにした。

 


8/29

研究室で1日実験。

あくまでも日常生活を送る中でのサブタスクとしてのdo夏なのでしょうがない、決して負けていない、むしろ勝ちまである。

 


8/30

研究室の帰りに川沿いを歩く。

夏をする上で景色はかかせない。青い空、白い雲、生き生きとした緑。

旅行は行けないにしてもどうにかして夏景色を摂取できないかと思い鶴見川に行ってきた。

 

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普段通り過ぎるだけの小机駅鴨居駅間を徒歩で歩く。

 

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狙い通りの夕焼け。川特有のちいちゃい虫に襲われてげんなりすることもあったが、セミの声と川の音を聞きながら景色を楽しむ散歩は心地よかった。

 

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そして夜、走った。

夏といえば汗、「こんなでる?笑」っていうぐらいの汗をかくのが夏。

当日誘っても絶対にOKしてくれる友達とランニングをした。去年の夏は健康生活を送るために朝ランニングしてたのに、今年はしなかったねぇと思い出に浸りながら、夜の街を走った。

2021年で1番汗をかいた。Tシャツとハーフパンツの色が濃くなるぐらいの汗をかいた。帰宅後の水シャワーが気持ちよくてニコニコした。

 


8/31

昼に素麺を食べる。

今年の夏はまだ素麺を食べていなかった。

めんつゆと生姜で食べるあの素麺を食べよう。

 

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200gってこんな量なのか。思った以上に多かった。

自分あるある:食べきれなさそうと思ったとき、食べ物に対して恐怖感でいっぱいいっぱいになり、味覚と嗅覚がなくなる

が発動したが、do夏精神で食べた。

 


午後にワクチン打って夏、終了。

 

 

 

感想

do夏ということで駆け込みで、「夏景色を見る」「汗をたくさんかく」「素麺を食べる」をしたわけだが、夏ができたか?と言われたら夏、出来なかった。冒頭で夏、しました。と言っているがあれは嘘。これらは自分の思っている夏じゃなかった。


経験して感じたのは、自分にとっての夏は、友達、冒険、青春(=小中高大の夏の思い出)だったということ。


友達とわいわいバーベキューしたりアイスを食べたり。

ひとりでドキドキワクワクしながら遠い街に旅行したり。

辛い思いをしながらも一つの目標に向かって仲間と部活に取り組んだり、宿題に追われたり、いいともを見ながら家族と昼ごはんを食べたり。

それらを夏だと捉えていたことにと気づいた。


これに気づいたからこそ、考えを改めようと思う。その年その年にあった夏がある。そのときの年齢にあった夏がある。思い出は思い出。

暑いというマイナスな面だけを受け取るのも夏らしさではないか。今年はそういう夏じゃはいか。十分夏をしてるではないか。

 


ということで夏に勝ちました。来年も勝ちにいく所存ですので、コロナ早くおさまってください。

赤の他人のおばちゃん相手に涙を流した

 

 

 

 

 

 

 

※今だから書ける話※

 

 

 

 

 

 

 

 


先月、死のうとしていた。というより頭の中に死以外の選択肢が何も浮かばなくなってしまっていた。はじめての体験だったから、せっかくなので記録を残しておく。

(今はそんなつもりはありません。)

 

 

 


新年度になって研究関連のどデカい壁にぶち当たった。それと同時に、研究室のトップに立つことになったため、後輩や留学生に物事を教える機会が増えた。
その壁に立ち向かうには自分と向き合う時間が必要なのに、後輩育成にエネルギーを根こそぎ持ってかれる。だけどそれを嘆いてたって仕方ないし、何よりダサいから常にみんなの前では元気よく振る舞ってた。


後輩や留学生の対応が一旦落ち着いたとき、久しぶりにその壁と向き合った。そこで感じたのは、焦り。もう無理だとしか思えず、頭の中が全て不安で真っ黒に埋め尽くされた。

その結果、死が浮かんだ。4月の平日、午前10時の出来事。

 

先に書いた通り、そのときの頭の中が今でもよくわからないけど、そのときは何を考えても最後には死に繋がる、死んだ方が楽だとしか思えなかった。
誰かに連絡しようかとも思ったけど、普段人前で明るく振る舞ってしまっているからそれができなかった。しかも午前10時だし。なんて伝えればいいか分からないし。

そんな考えを持ちながら、とりあえず死に方を検索した。
検索すると、トップになんでも相談室の電話番号が出てきた。不安ごとをなんでも聞いてくれる場所に繋がるらしい。
せっかくだし死ぬ前に最後、電話してみようと思った。

 


電話するとおばちゃんが出てくれた。普段から死にたい人の対応をしてるであろうから声がとても優しかった。話を聞いてくれるらしい。

勢いで電話をかけてしまったため、全然言葉がまとまらない。タラタラとわかりにくい説明をした。なんかそれがすごく申し訳なくなって泣いた。おばちゃんはその間も淡々と相槌を打ってくれて、その優しさにさらに泣けた。

 

名前も知らんおばちゃんに自分のこと話して、泣いて、おばちゃんが励ましてくれて、そんな時間を過ごしていたらやっと今の状況の意味不明さに気づいて正気に戻ることができた。(あと電話越しに号泣したせいでマジでやばいんじゃないかと思われて、向こうがこっそり受話器からスピーカーに変更したことも正気に戻れた要因)

30分くらい電話してちょっと気持ちが復活。まだ不安は拭えていなかったけど、とりあえず死にたい気持ちは無くなっていた。ありがとう、あのときのおばちゃん。

 

おばちゃんのすごいとこは、大学院の研究についての事情をよく知ってること。話を一般化できなくて、これ伝わってないだろうなと思っていたのに、全部わかってくれた。
何人もこういう人を相手してるから知識がついていたのか、それとも電話の向こう側に複数人いて知識の共有をしてたのか。今となってはわからない。けど、やっぱりなんでも相談室(=死のうとしてる人がかける電話)なだけある。すごい人たちだと思った。

 

 

 

そんな感じ。普通なら浮かぶはずのない危険な思考で埋め尽くされるの怖。

 
今回の経験で分かったことが2つある。

 

まず、客観的な視点がないと死を選択する。
今回踏みとどまれたのは「死のうと考えている自分」と「さすがにその思考は異常だから誰かに相談した方がいいと考えている自分」の2つの視点があったから。二十数年間、少ないながらも人生経験を積んできて、鬱の人の考え方とかにも触れていたおかげで、心の異常を客観的に捉えられてたのが良かった。
逆に言えば、中高生が自死を選択する理由も今回の経験で分かった。あそこまで心も頭も「死」で埋め尽くされると、簡単に人は死ぬ。

 

次にやばくなるもっと前に誰かに話して相談すること。
死しか浮かばないって言っても、その理由って案外しょうもないことだったりする。今思えば自分の悩みも大したことないものだった。ただ、そのしょうもないことが、その人の中で、今、強烈な不安を生み出していることには変わりない。
だからとにかく不安が軽いうちに、あっ不安だってなったときに人に愚痴るのが大事だと思う。死にたいんだけど…って奇妙な相談ができる人って身の回りにいなかった(突然こんな相談されても迷惑でしょうって意味で)。

 

 

 

以上、別に体験したくもなかった体験談の記録。

「自分を追い詰めないように」って言われても、そんなことできたら苦労しないわ!ってなることが多い (まぁ必要以上に追い詰めている人もいるかもしれないけど)。だからとにかく早めの行動で、追い詰められる状況になる前に手を打っておきたいね。

ニコニコダブルピースで人生を終えたい

何考えてんだと思われるかもしれないけど.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死ぬのがとても怖い.

例えばエスカレーターに乗っていて,重心を後ろにしたら転がり落ちて死ぬかもしれない.

例えば道を歩いて突然人に押された拍子に道路に出て轢かれて死ぬかもしれない.

例えばガスコンロの火に服の袖を近づけたら全身が燃えて死ぬかもしれない.

 

普通はそんなことはしないけど,意外と死は近くにあると思うし,今この状況でこんなことしたら死ぬな,死にはしないけど大けがするな,みたいなことを小さいころから考えていた.

 

死の原因が自分ならそれはいいと思う.だけど自分の思ってもいない方向から死が突然やってくるのが本当に嫌だ.本当に怖い.

 

だから積極的に死にたい.死を悲しいこと,辛いことっていう扱うのではなく,楽しい!イェイ!死!って扱い方をして,自分で自分の人生を終わらせたい.

 

 

 

生きる意味は何でしょう?私は,自己満足のためだと考えている.

なぜなら,人間っていう存在が無駄,不要だから.別に人間が地球にいなくても,何か不利益が生じるわけがない.

人間が無駄だと思ってるからこそ,ただ自分が気持ちいい,楽しい,心が満たされることをし続ける人生を歩むべきなんじゃないかと思う.

だから私は,面白いと思うから研究に心酔できる博士に進むし,楽しいと思うからいろんなことにチャレンジするし,心が満たされるから人にやさしくする.

 

で,ここで問題になってくるのが死.死がこの生き方を邪魔してくる.だって絶対楽しくないし,絶対に心が満たされるものでもないし.じゃあどうすればいいのか.

 

 

 

ニコニコダブルピースで人生を終える方法を確立させる!

これに尽きる.(私の中ではこれに尽きている.)

積極的な選択で人生を終える方法を見つけていきたい.安楽死ではなく,もっと楽しく,自分の責任で,ニッコニコでパンッ!終わり!って感じで人生を終える方法を見つけたい.

 

 

本当なら「生きる」に目を向けて,生きたいと本気で思っている人を救う方法を模索していく必要があると思う.ただ,生きると表裏一体の「死ぬ」ももう少し考えてもいいんじゃないかなと私は思う.だから私は,生涯をかけて積極的な死を探し続ける...

 

 

 

かもしれない.未来は誰にもわからないからね.でも今のところ将来的に一番やりたいことがこれ.

 

積極的な死を探している最中に突然,死がやってきたら笑っちゃうかもな.それもそれで楽しく死ねていいかも.

自分、バイオメカニクス、爽快感

頭の中がぐちゃぐちゃになって絡まりあって、すんごいことになってたけど、一つの本を読んだらするする~ってほどけていって気持ちよかったから書き留めておこうと思う。

 

 

 

就職活動の真っ只中、ということもあって、自分の本当にやりたいこと、好きなこと、得意なことは何かを考えていた。それが波及して、自分の研究について考えた。

 

私は研究が好きで、今の私の研究分野であるバイオメカニクスは、めちゃくちゃ面白い分野であると感じている。

バイオメカニクスとは、生体の働き、仕組み、構造、形態を力学をもとに検討し、その結果を医学、生物学、工学に応用する学問である。

 

バイオメカニクスがめっちゃ面白いと思う理由は、人間という超高性能ロボットの仕組みが解明できる、かつ、工学、生物学、医学のすべてを網羅しているからである。

人間は、何億年かけて進化を繰り返しながら改良されて今現在の形と機能を得ており、その仕組みはこの時代になっても明らかになっていない。こんなに身近にある(?)のに。もしそれが解明出来たらこれ以上気持ちいいことはないだろうと考えている。これが1つ目の理由。

2つ目の理由として、工学だけじゃない点が挙げられる。なんとなくで入学した機械工学の学科で、医者と共同研究ができる。医学の知識がつく。高校の頃、学力的にありえなすぎて考えもしなかったあの医学部と同じ立場で議論ができる。こんなすごいこと、他で経験できるか??できるか。

 

導入が長くなってしまったが、このバイオメカニクスについてかれこれ1週間ぐらいずっと考えていた。今の研究はそれなりに楽しいけど、いまいち本気で楽しめていない感覚があり、この1,2年、ずっとモヤモヤしていた。その原因を就活のための自己分析ついでに考えていたけど解決には至らなかった。

 

そこで、原点回帰ということで、自分が興味を持った「バイオメカニクス」とは何か、について本を読んで学びなおすことにした。ここで手に取った本が、私の頭をクリアに、クリア以上のものにしてくれた。

 

 

 

読んだ本:バイオメカニクス入門 林紘三郎 2013

 

この本ではバイオメカニクスとは何か、また、バイオメカニクスの種類わけをしてくれていた。前述した、「バイオメカニクスとは、生体の働き、仕組み、構造、形態を力学をもとに検討し、その結果を医学、生物学、工学に応用する学問である。」の文章もほとんど引用させてもらったものである。

 

自分の中で衝撃を受けたのはこのバイオメカニクスの分類である。

バイオメカニクスには大きく分けて4つの領域に分かれていた。

  1. 生体内部の細胞、組織、器官の構造と機能を対象としたバイオメカニクス
  2. からだの一部や全体の力学的仕組みを対象とするバイオメカニクス
  3. ヒトの運動や動作などを取り扱うバイオメカニクス
  4. 動物の運動、植物の構造など、広い目で見たバイオメカニクス

また、これらそれぞれは、基礎バイオメカニクス、応用バイオメカニクス(医学)、応用バイオメカニクス(工学)にそれぞれ分類される。基礎バイオメカニクスは、ある現象について力学的に理解することであり、応用バイオメカニクスは、その言葉通り、応用先について考えることである。

 

 

 

これを理解したとき、やっと自分の中のモヤモヤが解消された。

自分の中の基礎バイオメカニクスと応用バイオメカニクスの興味のスケールが違っていたのである。

 

私は、基礎バイオメカニクスの領域では、組織スケールの事象について興味があるが、応用バイオメカニクスの領域となると、スポーツやリハビリなどの運動・動作について興味があることに気づいた。逆に言えば、組織スケールの事象を解明したとしてもそれを工学や医学に応用させること、ヒトの動作について基礎から理解すること、それらに対してはあまり心は踊らないことに気づいた。

 

今までの研究は組織スケールの事象に対して、現象理解のための研究を進めている。もちろん楽しいから、ワクワクするからである。しかしながら未来のこと、応用先のことを考えてもワクワクしない。だからずっと研究に対して本気で楽しめずにモヤモヤしていたのである。

 

 

 

だからといってどうなる話ではないが、とにかくこれが分かった瞬間、何ものにも代えがたい、不思議な爽快感があった。最初にも書いた通り、それが気持ち良すぎたため、このブログを書いている。

 

この出来事から得られたこととしては、原点回帰して大きな視点で物事を見ると気づきがあるかもしれない、ということだけ。ただそれだけ。いつか原点回帰してこのブログを読み返すこともあるかもしれないな。

 

これからどうしましょうか。また、考え直そう。